この頃、会社は社員教育の為と言う事で、九十九里浜で度々、数人づつを選んでは研修を行った。朝は太平洋に向かって叫び、夜はカエルの真似をさせられ「ゲコゲコ」かえるの唄を熱唱した。それが絶えられず会社を去る者もいたが、アニメーターで動物の演技を描く時には物まねをして鏡を見ていた私には苦にもならないことで、体を反り返してゲタゲタ笑う教官の方が滑稽で不思議な生き物だった。苦痛は各人員の製作スケジュールを、この期間の為に消耗してしまう事にあった。

会社の新経営層は企業戦士を求め、現実に入社してくる新世代層は、日増しマニア色の強い者が多くなっていく・・・その狭間に自分は、ぽっかり浮んでいるような気がした。

初回作が終わったその日。私は上長から次の製品の仕様書を早急に準備してくれと言われた。しかも2作。1年前に出していたメタルブラック、ダイノレックスというゲームの素案が目にとまったのだという。その期日は息子の誕生日であり、それは正月休み明けを意味していた。

やってくれる者にやらせる。それが大企業の体質なのだと薄々感づいてはいたものの、どんなに愚痴にまみれる職場でも、アニメ業界という中で生きてきた私には恵まれすぎた環境であり創り続けられる事に幸せを感じていた。私のことを「できすぎ君」などと仇名する者がいた。サラリーマン体質の中での物づくり、それは自分には理解しがたい感覚もあり、入社当初から覚えていた奇妙な孤独感が日々大きくなっていた。

私にとってゲームとは何か?といえばアニメ下積み時代のストレス、金も恋人もない孤独感から100円で開放される娯楽であった。その中で最も愛したのがシューティングゲーム。だから私はゲームを作る上で自分の好きな物を作っているという感覚は無かった。大切な授かり物であり、提供側に立つ使命感のような物が強かった。

ゲームにはストーリー性が求められるが、それはゲームルールの帰結であり、脚本を意味する物ではない。しかし時代もあって新しく入ってくるRPGに育てられた開発員には、それそのものとして解釈する者が増えていた。私は新人研修責任者も務めており、そうした者たちに、それを理解させるには難しく、皮肉にも己はそれをさらに難解にさせるだろう作品の仕様をまとめはじめた。話を戻し、メタルブラックは1面の完成されたサウンドと絵とプログラムがドッキングした日、プロジェクトメンバー全員がこの企画の方向を認識したと確認した。こうしてGFでは互いに遠慮がちだったスタッフに阿吽の呼吸が生まれ、前作のようなつまづきも無く体力的には皆苦しかったが作業効率は上がり一
揆に終了までをひた走った。

この夏休みは1名を除きメンバー全員が出社となり、キャラクターツールをHとKと共にクーラーを入れることを認められたプログラマーの部屋へと運び雑用にも惑わされることもなく、気の知れたメンバーと創る事だけに専念できた最も楽しい記憶となった。

ある月末近い金曜日、内線が鳴った。下請けキャラクター制作の会社の方が仙波さんに会いたいと一階に来ているのだと言う。分室などで製作される幾つかのプロジェクトのキャラチェックを私は行っていたが、予定表を見ても今日はその予定は無い・・・なんだと思って降りてみると下請けの二人のチーフに挟まれしょげかえった一人の新人が立っていた。接客室に通すとチーフが「こいつはもう明日暮らす金がないんです、何とかしてください。」と代弁してきた。聞けば停滞している自社のプロジェクトに加わっているが仕事がないのだという。私は急いでノートを開きチェックをするがこの会社の人員は彼を含め全て自社の各プロジェクトに配属されている・・・そんなはずはない・・・たとえプロジェクトが停滞しても、所属プロジェクトからは拘束料が支払われており最低給料分(+++++)位は行っているはずだった。

だが実際は下請けに支払われてはいても、彼らが手にしているのはキャラクター単価だけだった。彼は先月たくさんリテークを受けたので、その分はお金にもならず今月仕事が無いのはそのせいだと思いこんでいた。チーフたちは自分達が内容チェックはするので今月末請求できる仕事を下さいと頭を下げるのである。再び内線で会議の呼び出しがあり、彼らに至急仕事の方は私から出すのでと席をたった。

会社としての来るべき日を前に会議は多く、その日も深夜になり終バスに乗った。山手線は池袋どまりでそこから酒臭い人ごみを抜けるように巣鴨の自宅まで歩いて帰った。その時までは下請けの彼の事を覚えていたのだが、妻が用意してくれた遅い晩飯を食うと気が抜けたのか、忘れて寝込んでしまった。ふと目がさめあわてて、D-REXの未予定分から追加仕様を起こし、明け方の巣鴨を走り駅の有料FAXから書類を流した。100円玉が驚く勢いで吸い取られていった。領収書は・・・無い(汗)

開けて月曜日、私は他のキャラクター下請け会社に電話をして現場に話を聞くと、どこもが同じ状態だった。上司に報告し下請け会社に注意を促すよう依頼し了解されたが。何も変わらなかった。

私にできることは各プロジェクトの企画屋に仕様をつっついたり、クオリティを理由にした外注へのリテークを極力避け社内で修正するよう要請し、新型,新新型の開発ツールをなるべくはやく下請けに流すよう働きかけるだけだった。
企画者たちは私より年下が多いが会社では先輩となる者も多く、私の行動から険悪な空気も流れる。(そりゃそうだ・・・せかされた上に出来の悪い絵を受け取れというのだから・・・ただ外注キャラのパッと見た目の悪さは古いモニター使用が影響している場合もあり、少しいじれば社内レベルの物がリテークとなり続けていた実情もあった)しかし、それで下請けの人材が抜けてしまえば苦しむのは彼らでもある。キャラと金の流れを明確にすべく企画屋にキャラ発注の伝票を切らせる仕組みを取り入れたが多くは無視された。この作品が終わる間際、上長から呼び出され「テーブルシューティングをここでは作るな、そして管理職につくように」と薦められた。上長の言葉は続き、グサグサとその中に別の理由らしき物も見え隠れする。

会社、複雑な人間の共同体。幼ない響き、私が元々受けた社命とはあまりにかけ離れた次元の言葉を突きつけられて、整合性が取れず頭が真っ白になった・・・元同僚から今もたまに聞かれる「仙波さんゲーム好きですか?」私は「嫌悪を感じた事はある」というと「よくそれでゲーム作れますね」と言われる。又は「仙波さんはゲームを知らない」と責められた事もある。しかし彼らのいうゲームを知らないはゲームタイトルの数の事であり、私にとっては印象に残らないゲームのタイトルなどどうでもいいことで、市場からまわされるデーターを理解する程度に覚えていれば良い事だし、内容説明されればそれとわかる知識程度は維持した。どうでもいいという言葉は誤解を与えかねないが、例えばアニメーターが市場に出る放映アニメーションの全てをチェックしていたら、己の仕事時間が無いという感覚である。いや、一言、余裕がなかった。

ただそんなに好きなゲームがあるなら別に作らずとも良いのではないか?とも思う。客でいた方が幸せだ。私は当時自宅を巣鴨に構えていた。帰宅は、ほぼ毎日深夜であったが、たまに早く夜11時くらいまでに巣鴨駅に降り立った時は、キャロットに入り数本試遊して、そこで遊ぶ客の姿と機種を見ていた。

この商品アイテムの中の彩りのひとつに必要な物は何かを悩んだ。・・・上長に説得を試みた。縦、横、ふたつのシューティングのベースが出来上がり、その初期目的のために最終調整期間が欲しいという開発としての要求はわがままとして押さえてきた。私が外れてもプロジェクトチームを残せば、キャラクター製作の人的問題を解決すれば、約半年サイクルで新製品を提供できる可能性があったからで、回を追えば内容も充実していくであろう。ラインの移動は又0に近いところに戻さねばならない。しかしプログラマーも他所から要望があるとの事でプロジェクトも解散する事になった。

GFの構築した基本ソフトくらいは他所でも役に立つだろう、だが開発にゆとりをもたらしたいとがんばった弱小チームの努力は周囲の理解を得ることなく頓挫した。2連投してきたメンバーの疲労も顔に濃く、これ以上、自分につき合わせるのも忍びなかった。

開発当初に危惧した事を思い出した。メタルブラックに続こうとする者たちは、この商品を分析しきれるだろうか?偶発的な大ヒットだけが救いという巨大な落とし穴にひっかかったりはしないだろうか?後に経営関連の会議の席で低予算規定スケジュール内の優等生としてGF2作は議場に上がり、劣等生としてD-rexが対比されたと聞いた。GF開発当初に上長であった人の言葉が蘇る。

「テーブルシューティングは人件費の高い社内で作るべきではない」

私は開発室に戻り、エンドロールの最後をENDからGOOD BYEに変更指示してGFは終わった。コンティニュー誌のインタビューに呼ばれた時、内心複雑な心境だった。当時はここまで厚く支持してくれる方が現れるとは家庭用の移植含め想定外だったし、スタッフロールは責任意味で解釈していた。

作業的持分であるグラッフィックもろくに時間が裂けず、プログラマーも同様で、提供商品として最低限を維持した自負はあるが、何処か心に晴れない物もある。ブラックフライ同様の製品なのかもしれない。しかし、そのありのままを評価してくれるファンがいる。私は企業からは製品と呼ばれる作品を作ったのだ。

だから憂鬱な思いと開き直りを抱いて出向いていった。製作要所の苦労話の聞き出しを期待したものの案の定、質問はドラマストーリーに集中してしまった気がする。私はその解釈は人それぞれでよい物だと思うし、何故?教えて欲しいのだろうと逆に思う。そして設定マニア風潮から、ドラマストーリーが何故必要なのかという本質が忘れられているような気もしてしまう。

その面に関してのいくつかの回答は、それまでのインタビューでも、そうしてきたようにその時の私の心情を答えた誤魔化し、あるいはヒントとして解釈いただけたらと思いますし、コミゲコミック連載以前の号に記事のバックとして印字された脚本の一部(ゲーム仕様としては未提出)、ファーストのインナー、ジョンフォードを主人公としたコミックもそういった位置付けでもかまわない。この作品はダライアス2のロケテストで感じたゲームという遊具のあり方を自分なりに問うてみた物でもあり、飽和と利益率から冷遇されつつあったシューティング物の一つの形を成否、良悪どちらに目がでようとも問うてみた物でもある。

ただ自己満足範囲で無理があったとも思うが、ENDの良悪も猫も全てはゲーム内解決はできるよう稚拙ながらも解答を込め製品化し、作り手責任は持ったつもりでもある。それから私にとってのメタルブラック2が、もしあるとするなら、その続編としては有り得ないしCF-345がまたTAKE OFFすることもない事から多くの方が解釈するところとは異なる物かと思う。

5.10..2006

余談 熱い方がおられる事を承知しているので、そうした方々に現場を伝え、イメージを損なう記述はどうかと心配し、又ネットの発達した今日では怖いものもあるが、その全てに配慮できるほどの知恵もない。ただやめて後、今も後輩や元同僚らから受ける悩み事の内容が全く変らないので、打開する微弱ながらも参考材料となればと思い書いているが、前述から躊躇して時期を逸した気もする。

良い物を作りたいと思う気持ちは誰も同じである。数年前、ある会社の行き詰まったプロジェクトに加勢する機会があり、久しぶりに現場入りすると開発員が開発機種を囲んでクリアを目指し一喜一憂して遊んでいる。私がその席につきプレイするとすぐに2、3のBUGが拾えメモを取った。席を立とうとするとニコニコ笑いながら「仙波さんって下手くそですね」と笑われた。第1面のベタだらけの試作背景が上がる頃サウンドが1面のBGMができたんで聞いてくれという内線が入りエレベーターを降りた。「どうだろう?」問う彼に私はダメ出しをした。「これじゃ落日だよ・・・」「だって落日だろ?」「バッカだなー会議で、これは夕日ですなんて言って営業が夕焼け通す訳無いじゃん・・暗いのは大嫌いなの、これは朝焼け!」ジョークだが・・・事実だ・・・。

「わけわかんねぇ・・・アンタ」彼は悩んだようだが、これがメタルブラックなのだ。ここでひとつお断りしたいのは、これは開発内の会話であるという事で、私は営業を敵視したことはない。
営業は尊重されるべき存在だ。その証は私のゲームスタッフロールに認めてほしい。ただ彼らの見る世界と我々開発の見る世界はちがって当然であり、またそのちがいに意味がある。例えば前作の進行性に反対したのは開発内部の方であった。「今時のシューティングゲームはどこもゲーム内アイテムを増やしているのに、ありえない、古臭い、営業が通すわけない」というわけである。(開発部の姿勢としては正しい)

確かにこの時期の営業との会議で「アイテムを増やせ」は耳にタコがつくくらい聞いた台詞ではあったが、シューティングの今後を考えた時、私の解釈と実現方法は異なっていた。走れるところまでやらせて欲しいと進めたことではあったが、ついに営業からは終始一言もその台詞を聞く事は無かった。このゲームの製作期間は前作から4ヶ月短縮した7ヶ月、予算はサウンドを含め人員を3名増やし1割弱増であった。(メンバーは前作のサブからMJ-12のWに代わり、プログラムには新卒のS、サウンドにYが正規に入り、新卒のIを加えた)前作に比較しても厳しい環境であったが、前作からのメンバーに、このスケジュールでやってやろうという自信が芽生えていたのが大きく違った。そしてプロジェクトを管理する私から見ればプログラマー2名の連投に1年は長すぎ、負担を軽減し早く休ませたいという意思が承諾に踏み切らせた。メイン仕様を2つ切り、その上でどう製品として成立させていくか・・・別の道を作ってみたい。
メタルブラックは当時販売時期的対抗機種となったK社シューティングと全く同数が販売展開したと担当部署から報告が来た。市場では後者は1店舗に複数機導入を見て負けを感じたが薄く広く広がったようだ。この後、定期的に回覧される稼動状況を示す紙一枚が開発者に伝わる実感触となる。